畑山 浩俊
Hatayama Hirotoshi2009年 関西大学法学部法律学科卒業
2011年 東北大学法科大学院修了(法務博士)
2013年 弁護士登録(66期)ブレイス法律事務所 入所
2015年 法律事務所かなめ(現 弁護士法人かなめ)開設 所属 第一東京弁護士会
民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会 好きな言葉 実るほど頭を垂れる稲穂かな
盲亀浮木の縁
INTERVIEW
事務所開設の経緯は?
予定より早くの独立開業でした。
私の実家は、肥料商店を営んでいます。商売人の息子として育ったので、どこかに勤めて勤務するということをあまりイメージできず、弁護士になったときから、独立開業することは心に決めていました。当初は2年間、修行させて頂こうと思っていたのですが、既に法律事務所を経営していた友人に「十分な経験を積んで準備万端な状態になってから独立しよう、という考え方は甘い。そんなことではタイミングを逃してしまう。誰でも独立するときは、清水の舞台から飛び降りるような気持ちなんだから、早い方が良いよ。」と教えられ、「それもそうか。」と思い、1年9カ月で独立しました。
勤務弁護士のとき、経営者の法律相談を受けていると、経営者と同じ視点で物事を考えることができていない自分に気付き、何度も悔しい想いをしました。億単位の借入れをしてチャレンジしている経営者の気持ち、何百人、何千人の従業員を抱えている経営者の気持ち、スピード感を持ってビジネスを発展させ、ワクワクしている経営者の気持ちをもっと理解したいし、自分もそうなりたいと強く思いました。
独立への決意が揺るぎ無いものになった理由は、副代表の米澤晃の存在です。彼とは司法修習時代、とあることがきっかけで仲良くなったのですが、弁護士になった後も、彼は様々な面で私をサポートしてくれていました。冷静沈着でありつつも大胆な決断・行動ができ、とても信頼のおける男で独立するときには絶対に彼を巻き込もうと考えていました。3か月間説得し続けた結果、一緒に独立することを承諾してくれたので、独立したときには、「怖いものはもう無いぞ。あとは思う存分やるだけだ!」という強い気持ちを持つことができていました。
「かなめ」と名付けたのはなぜ?
人と人との繋がりが一番大切だと思っています。
事務所名を決めるのはかなり時間がかかりました。まるで子供の名前を決めるような感覚でしたね。私の場合、自分の名前を事務所名にすると、「自分の組織だ」という認識が強くなりすぎ組織全体にとって良くない影響を与えるかもしれないと懸念していたので、自分の名前を事務所名にするという選択肢はありませんでした。自分が一生を捧げることになる組織を、どんな組織にしたいのかを考えに考えた結果、単に、仕事を処理するだけの場所にはしたくないと思いました。
私は、人と人との繋がりが一番大切だと思っています。
したがって、自分たちの組織を、多くの人が繋がり、関わって下さるすべての人々の人生がより豊かな方向に進んでいくようなパワーに溢れた空間にしたい、一緒に働いている仲間や法律事務所に訪れる依頼者様の人生にとっての、「重要な場所」にしたいと思ったのです。そのような想いから、「弁護士法人かなめ」という名にしようと決めました。自分たちが社会にとっての重要な起点になるような存在になるのだ、という強い気概をもって日々活動しています。
「福祉特化介護」に行きついたのはなぜ?
「介護特化」から始まりました。
思い返すと祖父の影響が大きいと思います。
私の祖父は、(手前味噌ですが)非常に優秀で立派な人物でした。尊敬している人です。
しかし、早くに伴侶である祖母に先立たれたことに精神的ショックを強く受け、認知症になってしまいました。
食事をした直後に「ごはんはまだか?」と言うセリフを聞いたとき、祖母の遺影を見て「あの人は誰や?」と発言したとき、真夜中にも関わらず「朝が来たから外に行く」と言って聞かない祖父を見たときの衝撃は、今でも忘れることができません。当時、まだ中学生や高校生だった自分はどうして良いかわからず、ただただ戸惑っていました。
認知症になった祖父に辛く当たった私に対し、母親は「あんた、おじいちゃんがボケたらあかんのか!おじいちゃんはあんたに、年老いていくということはどういうことなのかってことを全力で教えてくれてはんねや!しっかりとおじいちゃんの姿を見て学びなさい!」と雷を落としました。一番辛い想いをしているであろう母親から、この言葉を言われたとき、自分の小ささにショックを受けました。同時に「その通りだ」と母の言葉に強く感銘を受けたことを覚えています。
家族全員で認知症になった祖父を介護したことで、介護疲れで疲弊する人の気持ちや、介護福祉サービスの有難さや、まだまだ制度が未整備であること等を体全体で感じました。
弁護士になった当初は「介護分野」に注力しようとは全く考えていませんでしたが、企業側の立場で労働事件を担当する中で、介護事業所の労働トラブルに関わることがありました。その際、労働トラブル以外にも、行政対応の問題や、介護事故トラブル、人手不足等々、非常に多くの問題が山積していることに気付きました。それと同時に、現場の悩みにすぐに対応する介護事業に精通した弁護士の数が少ないことにも気付きました。
そこで、我々が介護分野を徹底的に勉強し、介護事業に精通した弁護士集団になり、現場に寄り添って問題解決をしていくことで、介護業界をより働きやすい環境にしていこうと思ったのです。
幼保事業者の支援、そして「福祉特化型法律事務所」へ。
介護事業者の支援を行う中で、徐々に幼保事業者のサポートを実施する機会も増えていきました。
私自身にも子どもができ、当事者として保育園に関わる機会にも恵まれました。
超少子高齢者社会と言われる現代日本では、介護事業者だけではなく、幼保事業者を取り巻く社会環境も厳しさを増しています。
これからの日本社会が元気であり続けるためには、福祉事業者の方々が元気であることが絶対的に必要です。
福祉の仕事は、すべての人に繋がっています。
福祉の現場で働く方々が気持ちよく働ける環境になれば、福祉サービスの質は上がり、利用者やその家族が幸せになります。福祉にかかわる人が幸せになれば、社会が元気になれるのです。
このような想いから、私たち弁護士法人かなめは、福祉事業者を専門的にサポ-トする集団になろう、と決意したのです。
「働きやすい福祉の現場を、あたりまえにする」
私たちが組織全体で取り組む、本気の使命です。
趣味のサーフィンのこと
人生そのものです。
サーフィンは生き甲斐であり、生活の一部です。
真冬も、猛吹雪の中、日本海でサーフィンするくらいサーフィンが好きなので、周りからの理解はあまり得られません。
夏は、早いときで朝4時30分過ぎくらいから海に入り、海の上で日の出を迎えます。
太陽が昇る瞬間、水平線に一本の光の筋が走ることがあります。真冬の海でも、猛吹雪だと思っていたら突然晴れて、虹が架かることがあり、自然の偉大さ、壮大さに圧倒されます。
サーフィンは自然が相手であり、時に危険を伴います。体力を維持・増強するため、トレーニングは欠かせません。週に2回はランニングし、ストレッチも日々のルーティンワークです。本気でサーフィンに打ち込みたいとの想いから、好きだったお酒も辞めました。周りからはストイックな人間だと言われますが、自分の生活を律すると幸福度も上がるので、私自身はとても楽しいです。ストイックな日々も全く苦にはなりません。
仕事柄、日本中を飛び回る日々ですが、出張の合間にサーフポイントを開拓しています。一生懸命仕事に打ち込むこと、全力でサーフィンをすることは、私にとっては同義です。
日本は島国なので、至る所にサーフポイントがあります。サーフィンを通じて、日本の素晴らしさを噛み締めています。
読書も趣味?
常日頃から多角的な視点を持つためにも
読書は欠かせません。
読書も趣味です。読書をすると、様々な視点が得られます。
その時々に自分が抱えている課題を解決する糸口を見つけるため、色んなジャンルの本を読みます。だいたい10冊くらいは同時並行で読んでおり、読みかけの本が我が家の至る所に置いてあります。鞄の中にも常時3冊くらいあり、車の中にもたくさん本を積んでいます。本に囲まれて暮らしたいと思うほど、本が好きです。
私の人生に影響を与えた本は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、ドストエフスキーの「罪と罰」、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」、三島由紀夫の「行動学入門」です。
これから事務所をどうしていきたい?
強い組織力で日本社会に貢献する
私は「福祉分野をサポ-トすること」は日本社会の今後の発展にとって必要不可欠な取組みだと捉えています。
我々は非常に大きな社会課題に立ち向かっています。たくさんの人の力を結集する必要があります。
そのため、私は法律事務所の組織作りに全力を注ぎます。
弁護士白書2022年版のデータによると、五人以下の法律事務所の数が全体の実に93%以上を占めます。統計から見ても分かる通り、組織化を目指す法律事務所は稀有の存在と言っても過言ではありません。
我々弁護士法人かなめは、福祉事業者が抱える法的課題を迅速に解決できる環境を整備することに全力を尽くします。そのための前提として、我々自身が大きな目的に向かって力を結集する一つのチームにならなければなりません。
弁護士法人かなめは、「働きやすい福祉の現場を、あたりまえにする」というミッションを法人全体で掲げています。
その先には、「人の環がずっとつながり、人の自由がずっとつづく社会へ」というビジョン(未来)を実現したいと考えています。
ビジョン・ミッションをしっかりと掲げ、それに賛同してくれる人たちの力を結集し、我々の影響力の環を着実に広げていき、日本社会に貢献していきます。