中野 知美
Nakano Tomomi2009年 香川大学法学部卒業
2012年 大阪大学法科大学院修了(法務博士)
2013年 弁護士登録(66期)鈴木俊生法律事務所 入所
2016年 法律事務所かなめ(現 弁護士法人かなめ)入所 所属 大阪弁護士会
民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会
法教育委員会 好きな言葉 収穫には立ち会えないかも知れないが、できるだけ多くの種を蒔こう
その場所にとどまり続けるには、全力で走り続けなければならない
INTERVIEW
畑山に誘われたときどう思った?
特に親しいわけでもない私を誘っているのは本気なのかが気になりました。
畑山から誘われてるらしいと聞いたのは、元々直接ではないんですよね。弁護士になってから勤めていた事務所の弟弁(弁護士は先輩後輩の関係を兄弟姉妹で表現します。)から、「この間飲みに行ったとき、畑山先生が中野先生に来てほしい、みたいなこと言ってましたよ。」と言われて、初めて畑山がそんなことを考えていたと知りました。
直接言えよって話なんですけど(笑)
その頃は弁護士3年目に入ったところで、これから弁護士としてどう仕事をしていくか、漠然とした不安を持っていたので、何かの話の流れで、一度ちゃんと話をしようということになったんです。
畑山とは、1年目の弁護士会の会派活動で一緒だったのですが、それ以降はすごく親しくしていたわけでもなかったですし、米澤とは、司法試験後に行う研修(司法修習)で同じクラスだったものの、そうは言っても70人以上いるクラスでしたから特に親しいわけでもありませんでした。仁戸田に至っては、全く知りません。
そういう状況で、何故この事務所が私に来てほしいと言っているのか、本気なのか、そういうことに興味があったというのが本当のところかもしれません。
なぜ一緒にやろうと決めた?
受け身の自分を変えたいと思い一歩を踏み出しました。
事務所に行かせてもらって話をしていた時に、畑山から、1年目に一緒に活動をしていた時の話をすごくしてもらいました。正直、そんなに私のことを見てくれていたんだなと思って、ちょっと感動しました(笑)
とはいうものの、私もかなり優柔不断なので、返事は3か月以上待ってもらったと思います。元居た事務所のことも好きでしたし、まだまだ修行したいという思いもあって、今同期と合流して大丈夫だろうかと。
自分でも、結局決めてがなんだったのかはよくわからないですが、これまでなんとなく受け身に生きてきた自分から、何か一つ抜け出したかったのかもしれません。弁護士のいいところは、資格さえ失わなければ、どこででも、いつでも、1人ででも、身一つで再出発できるところですから。
それで、丸3年経って、合流することに決めたんです。
委員会活動、会派活動、大学に教えにいくとか事務所外の仕事が多い?
事務所外の仕事からかなめの存在を知ってほしい。
他のメンバーに比べると、対外的な活動は私が一番多いかもしれません。
弁護士会には、委員会といって、様々な分野ごとに研究をしている団体があるんです。私はその中で、法教育委員会と民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会に入っています。
法教育委員会は、学生たちに法律のことを知ってもらうために、学校に出張授業に行ったり、弁護士会館で研修会等をやったりと様々です。少年院へ授業をしに行ったこともあります。
民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会では、2024年までに4度ほど副委員長をさせていただいております。
あとは、大学での講義やゼミなども、積極的に行なっています。できるだけわかりやすく、1つでもしっかり身に付くような講義を心がけています。
また、大阪弁護士会にはいくつかの会派があり、会員同士の交流を図ったりしているのですが、その会派活動も割と積極的にやっている方だと思います。
頼まれると断れない性分だというのもあるんですが、1つには、今弊所は、これまでの法律事務所の動きとはやや異なる動きをし始めていて、それは革新的かもしれない反面、やはり弁護士である以上は、同業者との縦横のつながりは絶対に切れるもではないですし、切るべきではないと私個人としては思うんですね。なので私は、あえて「弁護士」としての仕事を、気を付けて大事にしたいと思っています。
私がそういう動きをすることで、「かなめは中野がいるところか」と思って、応援して下さる人が増えたらいいなと思っています。
趣味はラグビーとタイガース?
観戦だけでも活力を与えられています!
自分でも、もっと仕事をしろよ、と思うぐらい、秋冬はラグビー、春夏は平日でも甲子園に通っています。事務所には毎月月刊タイガースが届きます。テレビでも見ますが、球場に行くのは格別ですね。
元々スポーツを見るのは好きで、サッカーでもバレーでもなんでも、テレビでやっていれば見ています。
本当は何かスポーツができるようになりたかったのですが、運動神経が壊滅的だったので早々に諦めて、実は高校生の時は管理栄養士か医者になりたいなと思っていました。スポーツ選手を何らかの形で支えられる仕事がしたいと思って。なので、高校の時は完全に理系でした。ただ、純粋に科学系が好きな理系で、数学英語は全くできなかったのに、国語の成績はまあまあよかったので、文転したときには、学校の先生に「あんたはずっと文系だと思ってたよ」と言われましたけどね(笑)
そんなことを思うと、今大阪で弁護士をしているのは不思議です。
タイガースとラグビーの話は、畑山のサーフィンと同じで、どちらも話し出すと半永遠的に続くので、また別の機会にでも・・・。
ピアノ、かるた、書道も?
多彩な趣味が息抜きに繋がっています。
ピアノと書道は高校生まで習っていて、競技かるたは高校生から大学生までやっていました。
今はいろいろ計画もあって、またピアノの練習を始めましたが、私は司法試験の夢は見ないのに、いまだにピアノの発表会の夢は見るぐらいなので、そのうち魘され始めるかもしれません。
書道は、筆を持たされればそれなりに今でも書けるのですが、普段の打ち合わせ中のメモはとても読めたものではないです。
競技かるたも、また始めてみたいですが、1時間を超える試合に向かう集中力、体力、記憶力が今もあるのかは、甚だ疑問です。
かなめでどんなことをしてみたい?
様々な場面で先のことを見据えた、種蒔きをしたいです。
私は、かなめで種を蒔く仕事をしたいと思っています。
今、かなめはまだ個々の集まりであり、誰が欠けても成り立ちません。ここから一歩進んだ、組織を作りたいというのが、私の密かな野望です。もちろん1人1人は大事ですが、誰かが欠ければ駄目になってしまうような集まりでは、安定したサービスも提供できないし、一緒に仕事をしてくれる秘書さんを含めたたくさんの人に迷惑を掛けてしまいます。
自己紹介で、好きな言葉として紹介している「収穫には立ち会えないかもしれないが、できるだけ多くの種を蒔こう」という言葉には、いつか自分が蒔いた種が大きな木になって、たくさんの実をつけ、それが多くの人の役に立ってほしいという思いが込められています。たとえ、収穫の時に私はいなくても、将来収穫をしてくれる人がいるという環境を作ることが、私の使命だと勝手に思っています。
自分はかなめの「〇〇」だ
かなめのセットアッパーになりたいです。
いい時も悪い時も、自分のやるべきことをきっちりやる、1球だけ投げてこいと言われれば投げ、イニングを跨げと言われれば3回ぐらいまで投げられる、防御率0点台だけど全然目立たないような立ち位置を目指しています。